みなさん、こんばんは。
安心・安全のための生活情報局
局長のやまさきです。
今回は、Twitter のハッシュタグで話題になっている「#くいもんみんな小さくなっていませんか日本」から、食品と経済の関係を読み解いたお話をさせて頂きます。
みなさんも Twitter でご存知かと思いますが、日本の食品が小さくなっています。
これは、紛れもない事実ですが、これは、今に始まったことではないんですよ!
食品のサイズが縮むことと経済の関係
みなさんが、一度は食べたことのある「キャラメル」。
このキャラメルには細ーい溝が碁盤の目のように入っていましたよね。
これは、砂糖の価格の変動で深くなったり、浅くなったり、していたんです。
こうすることによって、キャラメル一個あたりの砂糖の量は微々たるものですが、一日の生産量あたりの砂糖の量にするととんでもない量になる。
ここで、企業はコスト調整をしていたんですね。
では、今と昔とどう違うのでしょうか?
利益を確保するために少なくしている
昔は見た目にはわからない程度の調整で利益の確保もできていました。
しかしながら、最近では、明らかに小さく(少なく)しないと、企業は充分な利益が確保できなくなっているんです。
今は、個包装が施された、中身の見えない食品が増えたと思いませんか?
10年前と同じものを買っても、レジ袋のかさばる度合いが減ったと思いませんか?
そうなんです。
内容量が確実に減っているんです。
なぜ、小さく(少なく)しないと利益が確保できないのか?
これは、世界経済とも深い関係があるんです。
中国などの人口の多い国々の経済成長が進むにつれ、世界中からそういった国々に原料や食材は買い占められていきます。
日本は、基本的には、食品や包装資材の原料は輸入に頼らざるを得ない、国ですから、食品原料や包装資材の輸入調達コストが上昇してしまいます。
また、みなさんも記憶に新しいと思いますが、輸送コストの上昇も拍車を掛けています。
わたし自身も、食品の開発をしていた時に、鮭フレークでしたが、原料の配合調整だけでは、コスト上昇が吸収しきれずに内容量を減らすようにした記憶があります。その時には、量は減ってもカサが張るような原料選定と製法を開発した記憶があります。ですので、容器サイズは変わらず、中身の重量が減っていますが、見た目は減っていない。そんな商品を開発していましたね。(みなさん、申し訳ありませんでした)
気楽に構えていられない現実
メディアの報道などを見ていると、メーカーの説明として、小売店からの圧力が強く、「生産コストを下げるために内容量を小さくするしかない」という、コメントが多いですね。
また、わたしたち、消費者側の意見として、「多すぎても食べきれないから、少なくなってちょうど良い」であったり、「値段が上がるくらいなら、少なくなって同じ価格の方が助かる」のようなコメントが多く見受けられます。
これが、恣意的なものか、そうでないかは別の問題ですので、横においておきますが、メーカーのコメントが重要なんです。
判りやすく、言い換えると、「値段を上げると売れなくなるので、気付かれない程度に容量を小さくすることで、値段を維持している。」という事です。
これは、今の日本経済を如実にあらわしています。
容量を小さくして値段据え置きと言う事は、単位容量あたりでは値上げという事です。
内容量を少し減らして、価格を据え置いても販売量は増えないですよね、ですから、物価は上昇しません。
しかしながら、購入頻度は少なからず上昇します。
この程度で、企業の業績は大幅にはアップはしないので、企業側は将来の見通しが立てられずに、僅かにアップした業績分は内部留保に回します。そうすると、わたしたちの賃金は上昇することなく、推移します。
ここで思い出してください。
実質、値上げされている食品を賃金の上昇のない、わたしたちが購入しているんです。
当然、エンゲル係数は上昇します。
この事実のみを切り取って、日本政府は、「高い食品を買って、食を楽しむ余裕が出てきている。豊かになった証拠」と発表しています。
まとめ
「#くいもんみんな小さくなっていませんか日本」は実際に小さくなっている。
小さく(少なく)なっている理由は、生産コストの上昇と個人消費の低迷とで板ばさみになったメーカーが利益を得るために取った窮余の策
メーカーが窮余の策で確保した利益は将来の不透明さから、わたしたちには還元されない。
実質、値上げの食品を賃上げのないわたしたちが購入をするので、さらに消費は冷え込む方向になります。
実際に食品以外でも日用品などでも小さくなりつつあります。
このままでは、日本経済全体が小さく縮む可能性すらあります。
これ以上、日本経済が縮小するとその先には・・・。
「デフォルト」
メーカーは内部留保を増やすのではなく、従業員の給与を増やし、消費の喚起を目指すべきではないでしょうか。
では、また。